初心忘るべからず

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「初心忘るべからず」の本当の意味。

はじめたときの新鮮で謙虚な気持ち、志を忘れてはいけない、という解釈がほとんど。そう思いませんか?

「初心忘(わす)るべからず」

実はなんと深い意味がある。理解したときの衝撃は心のなかでずっと響き今でも大切にしている言葉。過去にふとつけたテレビで夜のどこかの番組に出演していた野村萬斎がその「初心忘るべからず」について触れていたときからだ。

はじめたときの新鮮で謙虚な気持ち、志を忘れてはいけない。

ごもっともだ。

ただ、人は歳を重ねていく生き物。長寿大国ニッポンとはいえ、人はかならず老いていく。

この「初心忘るべからず」のもととなっているのは室町時代に能を大成させた世阿弥で、世阿弥の書「花鏡」の結びのことば。

しかれば、能の奥を見せずにして生涯を暮らすとを、当流の奥義、子孫庭訓の秘伝とす。此心底を伝ふるを、初心重代相伝の芸安とす。初心を忘るれば、初心子孫伝はるべからず。初心を忘れずして、初心を重代すべし。

引用: 文化デジタルライブラリー|能・世阿弥(著作権: 独立行政法人日本芸術文化振興会)

世阿弥の「初心」というのは「はじめたときの志」すなわち「初志」ではない。「芸の未熟さ」「はじめたときのみっともなさ」。はじめたときのみっともなさ、未熟さを折に思い出すことで「あのみじめな頃に戻りたくない」と意識することで精進することができると世阿弥は説く。

未熟な芸を忘れないことで、そこから向上した現在の芸も正しく認識できると。

さらにまだ続きがある。まだですか、世阿弥。

一、老後の初心忘るべからずとは、命には終りあり、能には果てあるべからず。その時分時分の一体一体を習ひわたりて、又老後の風体に似合ふことを習ふは、老後の初心也。

引用: 文化デジタルライブラリー|能・世阿弥(著作権: 独立行政法人日本芸術文化振興会)

耳が痛い。指も痛い(画像化されており直接入力で引用している)。

若き日の未熟な状態から抜け出した後、年盛りから老後にいたるまでの各段階で年相応の芸を学んだ、初めての境地を覚えておくことで、幅広い芸ができるようになるとまた世阿弥は説く。

そして「老後の初心を忘るべからず」、老後にふさわしい芸を学ぶ初心があり、それを忘れずに果てのない芸の向上を努めるべし。

過去の失敗を思い出せるか?
過去の未熟な自分を思い出せるか?
どれだけ変わったか?
いまも努めているか?

まだまだみっともない未熟な人間だけども、時間を余すことなく学び続けたいと再認識。