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できない理由を考えるのではなくできる方法を考えよう

うーん、それは無理なんじゃないか。

仕事においても身のまわりにおいても、課題に直面すると難しいと感じることは割とある。
というよりも、間違いなく日常的に起こっている、事実。

そのような場面に直面したとき、すぐに「できない」と反射的に決めてしまって、後々になって後悔することが多いと思う。

実際に自分で数え切れないくらい体験してきたこともあるし、周りでも同じように後悔している人を多く見かける。

だからといって「あのときやればよかったじゃん」と言うのは不本意。言うのは簡単だけど、この時点ですでに遅いし、いまさら突っ込んだ話をするのもアドバイスにもならないし、フォローする理由も見当たらない。

仮にも苦し紛れのフォローを入れたとすると、こんな反応を示されるだろう。

「じゃあどうすればよかったんだ」

そう、それ。それなんだよ。

「できない」をいかにして「できる」に変えるのか、考えるプロセスが足りないんだと思う。

例を示すにはくだらなすぎるけど、僕はトマトが大の苦手。本当にダメなんです。
ラタトゥイユ、パスタのトマトソース、トマトが入ったスープは食べられる。生のトマトの食感がダメなんです。

そしたら、どうやったら僕が生のトマト食べられるのか?自分なりに分解してみる。

・トマトを加工しているものは食べられる
・生のトマトの中の種の部分の食感がダメ
・でも、結局は食べられる

という感じで、問題を分解できる。

これをもとに、「どうやったら生のトマトを食べられるのか」を分解した情報をもとにアイデアを考える。

・生のトマトの種の割合が少なく感じるようにトマトを 1〜2mmぐらいスライスする
・サイコロ状にカットして、レタスなど割合的に多めのトッピングで誤魔化す
・生のトマトの種をくり抜いて捨てる

といった具合に、アレルギーじゃない限り、解決方法はいくらでもある。
さすがに、3つめの捨てるというのは、もったいなさすぎるのでやらないが…。

本当にこれだけでも、僕は食べられるようになる。
なかなか面倒くさい奴だなあ、付き合ってられないなあとあなたが感じるのは間違いなく正しい。

しかし、これだけでは僕は実践しないし、食べたいとは思いません。本当に面倒くさい人間だなあ…。

理由は「手間がかかる」ことなんです。

今度は「できない」ではなく「手間がかかる」という問題にフォーカスしました。
どうしたら「手間がかかる」という問題を解決するのか?それはこれからも考えていこうと思う。

トマトの話題が多すぎたので、話を戻そう(戻す地点を見失ってしまった)。

多くの人が「できない」と諦めていることは「どうしたらできるのか」と問題をプロセスにして分解することで「できる」に変えられることは実はたくさんあると信じているのです。

「新規サービスをつくりたいんだけど法律が許さない」「これじゃ技術的には無理だよね」「これはルールで決めているからそれは…」「なんとなく無理じゃない?」と言うことがあれば、その前に「どうやったらできるのか?」「こうすればできるかも」とプラスな考えをも添えてみると、あっという間に解決するかもしれない。

もし、他の人が「できない」と言っているのを、あなたが聞いたら「じゃあ、どうすればできると思う?」と聞いてみるといいかもしれない。
もしかしたら、すぐ解決するのかもしれない。

クラウドファンディングも同じことが言えるのかもしれないし、すべてに共通して言えることかもしれない。
あらためてそのような「気づき」があると、本当に面白いなあと思う。

先日、会社で社長が振る舞ってくれた2,500円もする恵方巻きをありがたくいただいたのですが、ウニが入っていたらしく(僕は身体がウニを受け付けない体質)そのあと体調崩してトイレに駆け込んだ。2,500円でトイレに駆け込むとは贅沢すぎるのですが、そこはごめんなさい。

ウニについて、問題を分解しようか。

えんとつ町のプペル

キングコング西野さんとその絵本制作チームのメンバーで作った絵本「えんとつ町のプペル」

CAMPFIREで子どもたちが無料で展示会に入れるように、と募ったプロジェクトはこのような結果となった。

目標金額は1,800,000円のところを2576%の達成率で46,373,152円が集まった。
パトロン数も6257人と国内で新記録として塗り替えてしまった。

キングコング西野の個展『えんとつ町のプペル展』を入場無料で開催したい!
https://camp-fire.jp/projects/view/10837

Amazonでも上位ランキングで一人勝ち状態で、多くの書店でも異例ともいえる絵本の在庫切れ。
確かに絵本で売り切れとはなかなか聞くこともないですし、それだけ反響があったのは間違いない。

実際にギャラリーを訪れて鑑賞させていただきましたが、息を呑む完成度。
作品に飲み込まれてしまいそうなくらい細かなタッチと詳細までぬかりなく描かれている。

肝心の絵本も購入し読んでみました。
まだ読んでいなく楽しみにしている方もたくさんおられるので、細かくは書けません。

読む価値はあると思います。
揺さぶられます。

追記:
西野亮廣さんによると、

「『えんとつ町のプペルの作り方』というタイトルで、本を一冊書ける自信があります。」

とのことです。

共有しないだけで人は死ぬ

なかなか過激なタイトルだなあ、と思いつつも…。

さまざまな現場など人から聞いたり、過去の経験を踏まえて最低限レベルで考えてみる。

ビジネスで必要不可欠な「共有」プロセス。

それが意外と共有されていないケースがとても多い。制作現場に限らずビジネスシーンにおいて寝耳に水は御法度。1日は24時間、一般的な労働時間は8時間。8時間という基本的な限られた時間で一分一秒とトイレ行く時間も惜しんでまで追い詰められる状況は肉体的にも精神的にも悪影響を及ぼす。
※ 実際8時間ではなく、日をまたいだり土日にもなったりするところもあるが、本記事では一般的な8時間として書いています。

では、その大切な「共有」というプロセスがごっそり消えてしまっているのか、その代表的な例を挙げてみることにする。

1. そこまで重要(または緊急性が高い)とは思わなかったというケース
2. 次の作業に忙殺されてついつい忘れてしまったケース
3. 誰かが共有してくれると思い、自分がしなかったケース

耳が痛いですね。よくある話です。よくある話ではビジネスとしては済まされないので、どのようにしたらゼロにはならないけど円滑にコミュニケーションとれるか、僕の経験も含めて考えてみた。

かならずしも、これらのことを実践したから完璧というわけでもなく状況、立場によっても大きく変わってくるため、あくまでも参考程度ということで「心がけ」はしておくといいよ、ということです。

1. そこまで重要(または緊急性が高い)とは思わなかったというケース
認識の違い、経験の違いから発生する「自覚不足」が原因の ホウレンソウ(報告・連絡・相談)の漏れです。常にチームメンバーと認識があっているか密に確認して当事者意識を持つ。

2. 次の作業に忙殺されてついつい忘れてしまったケース
これも割とありがち。決して本人に悪気があった訳でも、職務怠慢が理由でもありません。このケースでははChatworkのタスク機能を細かいレベルでも記入したり、Evernote、手書きメモでも取るようにしてみる。

3. 誰かが共有してくれると思い、自分がしなかったケース
複数人が担当した場合によく起こります。その複数の担当者の中での一番の責任者あるいは上司が「誰がどうするのか」ときちんと指示することで共有すべき人は誰なのか明確になり、共有漏れのリスクが軽減されます。たとえば新しい企画をする、新しい案件をする都度に「誰が報告するか」を決める習慣をつける。

まだまだ共有漏れのケースは多いですが、代表的(=よく起きている)なケースをもとにどのようにしたらゼロとはいかなくても、スムーズに仕事ができるのかを上に挙げてみた。
個人プレーの仕事になるのではなく、チームプレー、事業部単位、経営陣単位、会社単位、社会単位とどの規模においても共通していることなので、自戒も込めて。

CAMPFIREで仕事しています

転職エントリもそろそろ目立ってくる時期かなと、アドベントカレンダーを眺めているcadaです。

ご存知の方もいらっしゃるかとは思いますが、僕は現在CAMPFIREで仕事しています。

現在はエンジニアとして日々たくさん生まれるみなさんの挑戦を支えるプラットフォーマーとして、大切な仲間であるエンジニアと日々議論しながらシステムの安定化、新機能の追加などパワーアップに力を入れています。

ですが、エンジニアは僕も含めて3人しかいない状況…。
「たった3人であの規模とスピード感?」と知人から驚かれていることが多くなってきていると感じることも増えてきました。

これからも今まで以上に加速していくと確信しています。

その成長を支えるには、仲間を増やさなければいけないのですがもちろん簡単な話ではありません。
どの企業も喉から手が出そうなくらいエンジニアは貴重なリソースで、採用活動に苦しんでいます。

その状況は僕たちも同じです。

CAMPFIREのバリューの一つに「安易に答えを出すのではなく、常に問い続けよう。学びを怠らず、 慢心せず、謙虚な気持ちでいよう。正解なんて無い。この世は課題だらけだ。」と定義しています。毎日が課題だらけですが、常に問い続け、学び、試行錯誤してたどり着く喜びは代えがたい価値があります。

僕たちは常にチャレンジを求めています。

クラウドファンディングで日本中の挑戦を支えたいエンジニアWANTED!
https://www.wantedly.com/projects/47464

こちらがエンジニア応募のエントランス。
まずはフランクでもよいのでお会いしてお話しましょう。

たくさんの応募をお待ちしています。

初心忘るべからず

「初心忘るべからず」の本当の意味。

はじめたときの新鮮で謙虚な気持ち、志を忘れてはいけない、という解釈がほとんど。そう思いませんか?

「初心忘(わす)るべからず」

実はなんと深い意味がある。理解したときの衝撃は心のなかでずっと響き今でも大切にしている言葉。過去にふとつけたテレビで夜のどこかの番組に出演していた野村萬斎がその「初心忘るべからず」について触れていたときからだ。

はじめたときの新鮮で謙虚な気持ち、志を忘れてはいけない。

ごもっともだ。

ただ、人は歳を重ねていく生き物。長寿大国ニッポンとはいえ、人はかならず老いていく。

この「初心忘るべからず」のもととなっているのは室町時代に能を大成させた世阿弥で、世阿弥の書「花鏡」の結びのことば。

しかれば、能の奥を見せずにして生涯を暮らすとを、当流の奥義、子孫庭訓の秘伝とす。此心底を伝ふるを、初心重代相伝の芸安とす。初心を忘るれば、初心子孫伝はるべからず。初心を忘れずして、初心を重代すべし。

引用: 文化デジタルライブラリー|能・世阿弥(著作権: 独立行政法人日本芸術文化振興会)

世阿弥の「初心」というのは「はじめたときの志」すなわち「初志」ではない。「芸の未熟さ」「はじめたときのみっともなさ」。はじめたときのみっともなさ、未熟さを折に思い出すことで「あのみじめな頃に戻りたくない」と意識することで精進することができると世阿弥は説く。

未熟な芸を忘れないことで、そこから向上した現在の芸も正しく認識できると。

さらにまだ続きがある。まだですか、世阿弥。

一、老後の初心忘るべからずとは、命には終りあり、能には果てあるべからず。その時分時分の一体一体を習ひわたりて、又老後の風体に似合ふことを習ふは、老後の初心也。

引用: 文化デジタルライブラリー|能・世阿弥(著作権: 独立行政法人日本芸術文化振興会)

耳が痛い。指も痛い(画像化されており直接入力で引用している)。

若き日の未熟な状態から抜け出した後、年盛りから老後にいたるまでの各段階で年相応の芸を学んだ、初めての境地を覚えておくことで、幅広い芸ができるようになるとまた世阿弥は説く。

そして「老後の初心を忘るべからず」、老後にふさわしい芸を学ぶ初心があり、それを忘れずに果てのない芸の向上を努めるべし。

過去の失敗を思い出せるか?
過去の未熟な自分を思い出せるか?
どれだけ変わったか?
いまも努めているか?

まだまだみっともない未熟な人間だけども、時間を余すことなく学び続けたいと再認識。